2016年11月13日日曜日

LifeWalkersの本格始動・一時更新停止について

どうもUnknown(あんのうん)です。また一ヶ月ぶりの投稿です...
今日はLifeWalkersの今後について詳しく書かせていただきます。

現状では、一ヶ月に一回もしくは数回の投稿を各メンバーがしています。
投稿の頻度が低い理由としては、各メンバーの個人的な事情により
野外活動などをする時間がなかなか取れないことが挙げられます。

本格始動後は投稿頻度・YouTubeの更新頻度が高くなりそうです。
本格始動は早くて2017年3月ごろ、遅くて4月ごろになると思います。

そして、今日の投稿を最後に本格始動まで、
ブログの記事執筆などの更新
YouTubeの更新
Google+コミュニティの更新
を停止します。

本格始動後はより一層ブログを充実させていこうと思いますので、
今後もよろしくお願いします。

LifeWalkersの「野外探索」伊保原飛行場編

どうもIchitoyoです。
今回は豊田市で最も大きいといってもいい戦争遺跡である、
「伊保原飛行場」付近を探索してきたので、そのレポートです。

この付近の航空写真です。

とある秋晴れの日…

    

長ーーーーい直線道路から、この探索は始まります。 
この道路がある場所は、かつて滑走路として使われていたようで、
地図を見た限りだとなんと約2km(!)も直線道路が続きます。

ここで、伊保原飛行場についての説明を少し。

「伊保原飛行場(いぼばらひこうじょう)は愛知県豊田市浄水町に存在した飛行場である。
1940年に愛知時計電気の試験飛行場として建設され、その後、軍との共用飛行場となった。
滑走路は3本作られた。第2次世界大戦中、
ここから神風特別攻撃隊草薙隊が沖縄の米軍艦隊へ特攻を行い、62名が亡くなっている。
現在は住宅地となっており、愛知少年院の南側には慰霊碑が建てられている。
慰霊祭が毎年行われている。
現在は豊田浄水特定土地区画整理事業により土地の分譲を随時行っている土地で、
この土地は飛行場であったことから非常に地盤が良いとされ、
名鉄豊田線浄水駅があり名古屋や豊田市街へのアクセスも良いことから人気が高い土地である。
滑走路であったことから、浄水町伊保原北の交差点から東には真っ直ぐな道が見える。」
(Wikipediaより)

この中に出てくる「草薙隊の慰霊碑」が、



こちらです。
横の石碑に書かれていた文面は、
「此ノ地ハ昭和十七年四月一日開隊昭和二十年九月二日解散セル名古屋海軍航空隊ノ址ナリ昭和二十年春当地ニ於テ神風特別攻撃隊草薙隊編成サレ四月五日十二日の両日各二十機ノ九九式艦上爆撃機ハ鹿児島県国分基地ニ進出菊水一号二号四号作戦ニ参加 同月六日十二日の三次ニワタリ沖縄本島西方泊地ノ米艦船ニ突入ス 未帰還二十八機戦死五十六名彼ラガ眠ル沖縄ノ地ガ祖国復帰ノ日ヲ迎ウルニアタリ有志ノ協力ヲ得テ豊田市在住ノ元海軍軍人本碑ヲ建立シ草薙隊ノ忠烈ヲ永ク後世ニ伝ヘントスルモノ也」
昭和四十七年四月吉日 豊田海友会」

重要なあたりを要約&口語訳すると、(変ですみません)
「昭和20年にここで神風特別攻撃隊草薙隊が編成され、四月五日と四月十二日の両日に20機ずつの九九式艦上爆撃機が鹿児島県の国分基地に進出、菊水一号、二号、四号作戦に参加し、四月六日と十二日の三次にわたり沖縄本島西方の泊地の米艦船に突入(特攻)した。未帰還機が28機、戦死者は56名だった。彼らが眠る沖縄の地が日本に復帰するにあたり、草薙隊の忠烈を永く後世に伝えるためにこの碑を建立した」という感じでしょうか。豊田市にもこんなふうにして戦争に関わった場所があったんだなと知り、とても驚きました。


近くには三十二センチ砲の主砲弾と説明もありました。


出自不明の碇も。

では市街地を後にして、前々から怪しいと思っていた森の中へ踏み込みます。が…



これまで経験したことのないほどの竹藪が!

竹藪を15分ほど下ると…


見えてきました。通信壕。これに入るのか…


近くで見るといろいろ穴が開いてます。ケーブルが通っていたのでしょうか?


内部です。
オーブが写ってるのは気にしないでください…
音がすごく響きました。


鉄筋が露出してます。
ですが、とても50年以上前から全く手入れされていないとは思えません。



上:天井に開いていた穴です。地表につながっていました。

下:隣の部屋とつながっていた穴です。伝声管も繋がっていました。


外に出て、あと2つの穴を探索します。


右の広い穴です。最初に入った穴と特に違いはないです。伝声管が右奥にありますね。
このあと、左側の壁にでかい蜘蛛がいて慌てて穴を出ましたw



左側の入口が狭い穴です。
LifeWalkersは二人して大柄なので、入れませんでした。
土が床に積もっていました。
ここにもやはり換気用と思われる管が上から出ていました。


木筋コンクリート…?


三つ目の穴の上に登って全景を撮ってみる。
にしてもこの森、竹だらけ。
まさか隠ぺいのために竹藪を作った…そんなはずはあるまい。


Oh,Japanese!


帰りに見つけた謎の仮面。
溶接作業で使うあれでしょうか?

あと森の中で見つけたものといえば…


「芝糖 スプーン印の上白糖」
パー○エースじゃないのか…?と思いつつ、帰って調べてみると…
結構古い産物でした。
まず、この「芝糖」、正式には「芝浦製糖」なる会社は、「横浜製糖」「大阪製糖」との合併により「三井製糖」と名を変えて営業中です。実は業界最大手なのだそうで。
そして上の三社の合併が行われたのは1970年の11月。
つまりこの上白糖は46年以上前に生産されたもの。
もっと詳しく調べておけばよかった…


近くには碍子(がいし)も。ということは…?




電柱がありました!
トランスは見つけ切れませんでしたが、PCBとか大丈夫なんでしょうか。
(※PCB...ポリ塩化ビフォニル。毒性がある。)
何はともあれ、一時間に及ぶ森の中での冒険から生還!
小和田よりも死の危険を感じなかった分、けっこう楽しい探索となりました。

〈あとがき〉
豊田市に71年経ってもなお残る戦争の遺構の探索、いかがでしたか?
実はこの投稿をもってLifeWalkersの活動をしばらく休止します。
詳しくはUnknownさんからまた投稿があると思います。
僕が書く記事はこれで最後です。
ではまた復活時にお会いしましょう!お読みいただきありがとうございました。

〈おくづけ〉
執筆 Ichitoyo【MY07】
探索 TKA,Ichitoyo【MY07】/LifeWalkers
探索日 11月某日
写真撮影 Ichitoyo【MY07】