2016年8月30日火曜日

LifeWalkersの「廃線歩き」「名鉄挙母線 豊田市内区間」

っさて、超久しぶりの更新ですね。(見てる人いるのかな…)Ichitoyoです。
今回はわりと家からも近く、本部にも近い、「名鉄挙母線」を探索…というか走ってきたので、
その様子をレポートしていきたいと思います。

名鉄挙母線について→こちらに詳しいです。

8月某日 15:28
起点である名鉄三河線上挙母駅にやってきました!僕の動画でもたびたび登場しますね。


さて、挙母線への分岐を探します。駅のすぐ知立方の踏切から知立方面を眺めると…
「いかにも」な感じで分かれていく線路がありますね。次はあの線路を目指しましょうか。


ということでしばらく走ると、


THE☆末端部 といえるところに来ました。


線路が壁にぶっ刺さって消えています。44年前まではここから岡崎まで線路が伸びていたのですが…



振り返り進むと、いかにも線路跡な緩いカーブの道路…


だんだん愛環が近づいてきましたね。このまま合流してしまうのでしょうか…


と思ってたら、謎の擁壁が。鉄道時代のものなのか、否か。僕には判別できません…


途中で見つけたこの岩塊。思い当たる節はあったが確信が持てず、帰って調べたところ…
あーやっぱりでした。
架線柱台座。
もっと撮っておくべきだったな…


でしばらく進むとこんな感じに。変電所に飲み込まれてます。


しばらく迂回して、割と太い道を超えるとついに愛環と一体化。
砂地と駐車場ばかり撮っていても仕方がないので、しばらく進みます。


この線路の2~3m下を、挙母線が通っていたわけですね。

16:14 上挙母を出て最初の駅、三河豊田(トヨタ自動車前)に到着しました。


この駅は今トヨタ自動車の玄関口としての役割を果たし、
東京行の夜行バスなどの経由地にもなっています。
かつてのトヨタ自動車前駅は、地上駅でした。


しばらく走ると、道に沿っていた愛環線が若干不自然にカーブします。
このあたりで挙母線(跡)が分岐しているのでしょうか?


綺麗に遊歩道化されています。


結構走り心地の良い道路で、一瞬廃線跡であることを忘れさせます。
が、この道で大変なものを見つけてしまうわけで。


ふと視線を向けた道端にこんなものが。どこかで見たことがあるなあ…
記憶を探り、該当したマークは…
名鉄の旧社紋。名鉄100系の飾り帯についてることで有名?ですよね。
ここでやっと、この場所が鉄道であったことを示すものに出会えました。


ぐねぐね~としてますが、一番外側の生垣が元の路盤の広さでしょうか。




走り心地の良いサイクリングロードが続きます。
たぶんこのあたりで鴛鴨駅を通過。

なるほど。そんな名称だったのね。でも直進で横断歩道は整備できなかったのかなあ…
そして「Koromosenatochi」まあわかりやすい名前ではありますね。


下手に「Koromo-Line Vacant lot」と書かれてもいきなり何かはわかりませんし。


はい。たどり着きました渡刈駅跡。綺麗に整備されてます。


この緑道は、旧名鉄挙母線跡地を利用した緑道です。
旧名鉄挙母線は、名鉄三河線の~(中略)~この付近には渡刈駅跡の名残があり、旧名鉄挙母線が想像できるような整備を行いました。
なるほど、廃止になったあと放置されていた路盤を、高速道路の整備に伴って再整備した。というわけですね。
でも公園課、しっかり管理してるのかなあ…真新しい水道から水は出なかったし。





線路のような感じの床にもなり、休憩室もあり、いい場所です。


渡刈駅跡を後にすると、すぐに伊勢湾岸道にぶつかり、遺構は途絶えます。


高速道路を越えたところにはこうして路盤もありますが、夏では入る気になれません…


こんな石碑もあります。


本来の軌道敷は中央右側の茂みですがねw


豊田市側最大の遺構とも言える明治用水を渡る橋の橋台に向かいます。


意外とデカイ…登りたかったですが草のせいで断念。
さて最後に矢作川橋梁跡地を見て帰ろうと思ったのですが…
堤防の藪がすごいのなんの!
廃線探索をするというのに、バカなことにジーンズ+半袖シャツで来ていたので、突入はできず…


ただし発見はありました。
「明治用水頭首工より名鉄鉄橋跡」
これで残ってることがほぼ確実になりました!頑張って堤防への道を探します。


ここから堤防をトラバースします。


だだっ広い!遊休地というやつでしょうか。


おそらく矢作川橋梁の橋脚跡でしょう。
…というか、他にそれらしいモノが見当たりません。
コンクリートの柱が数本立っているのが見えます。

…これで、名鉄挙母線豊田市内区間をたどる旅はおしまいです。
皆様、ゆっくりとお楽しみいただけたでしょうか?
国鉄と道路公団、ふたつの巨大組織によって分断された廃線跡で、遺構らしい遺構は
あまりありませんでしたが、意外に楽しい旅でした。
次回更新は…たぶんまた3ヶ月程度開くような気がします。
おそらく三河線の末端区間か、挙母線の岡崎市内区間か、どちらかになるでしょう。
ではまた、このブログで会いましょう!
執筆、文責 Ichitoyo 2016/8/30